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チベット・ヒマラヤ気象研究の進展


 我々が生活する地表付近の小気候は周辺の地形起伏(山岳)や陸面熱収支の影響を強く受けています。日本列島が4つ以上も入る面積が、標高4000m以上に広がるチベット高原ともなると、アジアの気候形成そものもにも大きな影響を及ぼすようになります。チベット高原/ヒマラヤ山塊は気候境界であると共に、アジアの巨大な分水嶺でもあり、東西南北で異なる文化・政治を生み出しています。今まで未知であった同領域の自然環境変化が近年の観測技術の進展と国際プロジェクト研究の連携により明らかになろうとしています。

 ヒマラヤとはそもそも”山”を意味する名称で、チベット高原南縁を形成する深い谷と7000mを越す切り立った山岳域を称します。東京ー筑波間の標高差が富士山の2倍以上もある状態を想像してみて下さい。その背後に標高4000m以上の広大な平野と山岳が対流圏中層に広がっているのです。標高が高いほど水蒸気量が減り、森林限界も超えているため、無味乾燥で寒冷な僻地が広がっていると思いきや、高原上にも雨季が存在し、夏には中部や東部にかけて緑豊かな大草原が出現します。数多くの湖が点在し、山岳氷河から流れ出る河川と活発な積雲対流の発生は、大気と陸面が絶えず強く結びついて作用している事を示しています。さらに凍土上部の活動層の存在は、地表付近の水や熱の再循環を加速すると考えられます。冬季は低緯度の豊富な太陽放射と共存する寒冷圏が出現します。周辺各国の社会基盤を支える水資源の多くも、高原周辺の山岳氷河に端を発する大河川に依存しており、古くから水資源や気象予報研究の舞台となってきました。この大舞台が近年の気候変化に対してどのような影響を受け、または影響を及ぼすのか、周辺諸国の社会・経済・文化の変遷にどのような影響をもたらすのか、多くの研究者が注目しています。

 私が始めて名古屋大・北海道大学が主導するヒマラヤでの観測に参加させていただいたのは1987年の事。降水分布が昼は稜線、夜は谷間と見事に分離する事に興味を持ち降水システムの研究を始めました。さらに、水蒸気の殆どが地形性降水で落とされているはずなのに、高原上を蕩々と流れる河川と緑の大地、活発な積雲対流を見たときに、どのようにして高原上に水蒸気が輸送されれ、陸面が対流活動に作用しているかを知りたくなりました。日本国内を対象とした気象研究は山のようにあるにもかかわらず、広大な高原上で繰り広げられる気象に関しては殆どが未解明であったため、一人くらいは人と違った事を研究対象にする日本人がいても良いのではと思い出しました。

 1998年に日中共同プロジェクトで実施されたGAME/Tibetプロジェクトでは、世界初のドップラーレーダ観測が高原上で実施され、近代気象観測の幕開けとなります。4ヶ月という短期間ではありましたが、非常に厳しい自然・政治環境の中、すばらしい組織力とチームワークにより優れたデータが取得され、データの国際公開が成し遂げられました。これらの定量的な複合気象データセットは今でも数多くの研究に利用されています。プロジェクトの大きな目標は、いかに利用価値の高いデータを公開し、研究基盤を構築するかですが、同プロジェクトは、その意味でも、日本発の世界に類を見ないプロジェクトの挑戦でした。

 その後、研究はCEOP/CAMP/Tibetプロジェクト、JICAプロジェクトへと進展し、平行して中国科学院チベット研究所(ITP)が設立されました。現在は、IPTやEUによるプロジェクト(CEOP-AEGIS)により日本が構築した研究観測基盤が継承され、気候変動以外の研究テーマにも波及効果を生んでいます。長期にわたる研究の継続により、今までは現地観測、客観解析、衛星データ、シミュレーションなど個別の手法で指摘されてきたメカニズムの整合性が見え、統合的な理解が加速することは素晴らしいことです。一方で、青海西蔵高原鉄道の開通により、チベット高原の文化や経済活動も大きく転換しています。列車の車窓から日本が構築した観測拠点を眺められる時代が来るなど、思ってもいませんでした。ヒマラヤでも、イタリアEV-K2-CNR研究グループが観測網を展開し、2008年にはエベレスト・サウスコル8000m地点で自動気象観測が開始されています。今まで精度が不確かであったヒマラヤ周辺の客観解析データ検証に威力を発揮することが期待されます。

 チベット高原は学術研究の宝庫です。ITPは”第3の極”と名打って環境研究プロジェクト(TPE)を立ち上げております。一方、ヨーロッパでもFP7の枠組みでCEOP-AEGISプロジェクトが立ち上がりました(プロジェクトのページ参照)。私の視野もより風下域や周辺諸国の現象に広がり、四川盆地周辺で発達するメソ対流系やコールドサージ、陸上でのモンスーン低気圧の挙動、乾気団と湿潤モンスーンの交差点としてみた高原の熱力学的作用再考、など新たなテーマを思い描いています。20代の頃”なぜだろう”と現場で素朴に思った疑問は今での研究の原石で、粘り強く取り組めば必ず仕組みが明らかになると信じています。大学人でこそできるライフワークの意味を考えるこの頃です。

 卒論・修論で海外を研究対象にできることは本研究室の特徴でもあります。自分が経験したことのない世界を分析することは、自分の視野や考え方を大きく広げます(真の意味の学際性)。ユーラシアのフィールド研究に興味のある方は、是非遊びに来て下さい。