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降積雪の研究

 日本の天候を特徴付ける現象に、冬の雪があります。小さいころからスキーに興じていた私は、大学の卒業研究でも真っ先に雪の観測に飛びつきました。そもそも気象観測は一人で行えるものではなく、沢山の機材と多くの費用がかかります。”積雪がそれまでの気象履歴を留めているのなら、山で堆積した雪の断面をあちこちで観測すれば、地形の影響を受けた冬季の降水過程を探れるのではないか”という単純な発想が出発点でした(もちろん、スキーをしながら観測ができるという不純な動機も含まれます、、)。

 厚く堆積した氷河/氷床から過去の気候を復元する研究は山岳氷河や南極で進められています。一方、日本の大雪地帯では、積雪は降って積もって解けた結果で、時には吹き込んだり雪崩のように攪乱されることもあります。前記で考えたほど気象を復元する事は簡単では無いのですが、新雪中に残された化学成分を分析する事で、沿岸では海塩核由来の塩分濃度が増加したり、内陸では人為起源と考えられる成分が増加する事が分かりました(上野、1993)。大学の卒業研究でした。そして、この時経験した雪との悪戦苦闘こそが、その後のライフワークとなるヒマラヤ・チベットでのフィールド研究の基盤となります。当時、雪氷研究の手ほどきをして頂いた名大・北大の先生には感謝感謝です。

 降雪研究に関して最初に直面したのはその量の精度問題でした。”温帯低気圧の研究”では開示された降水量データを鵜呑みにして使っていましたが、実は降雪が雨量計に補測される割合は降雨に比べて著しく低く(風速によって5割程度となることもあります)、その結果、特に高所や冬季の降水量が過小評価されている事が分かっています。その過小量は現地の風速や使用する雨量計の型式にも依存し、これらを加味した修正降水量で解析を進める事が奨励されます。皆さんが使用しているアメダスデータも、雨量計の型式が変化する前後で冬季降水量が大きく変化していますから、要注意です(佐藤ほか、2012)。この問題意識を活かし、チベット高原における研究ではWMOが推奨する降水量補正方法を勉強し、捕捉率を向上させるDFIR降水量計の導入も行いました(Ueno and Ohata,1996 )。もう一つの降雪量観測の難点は、降った雪を溶かして測定する必要性です。商用電源が整った市街地ならまだしも、無電源で降雪が卓越する山中では太陽光パネルの電力では賄えません。そこで、日本ではあまり見かけない重量式雨量計をアメリカからチベット高原上に輸送して雨量分布を把握したり(Ueno et al., 2001)、自前で太陽光で稼働する小型の貯留式雨雪雨量計の開発に挑んだ事もありました。そもそも、降水量の補正を試みでも、雨量計に補測されない雪片に伴う降水量は評価できません。そこで、レーザーを使って直接落下してくる降水粒子の雨雪を判別し、どのような気象場で降水形態が変化するかを分析する研究も行っています。

 一方で、積雪研究に関して不可欠なのは、自前のフィールドを持つことです。雪氷研究を推進する多くの大学が、地の利を活かしたフィールド研究で成果を挙げています。では関東平野に位置する筑波大学で何ができるか、を考えた時に思いついたのが筑波大学・山岳科学センターの菅平実験所の活用です。菅平高原では、全国でも珍しく高所でアメダスによる積雪深観測が継続されており、寒冷地特有のパウダースノーが卓越し、積雪観測に持って来いの草原が沢山あります(Yasunari and Ueno, 1987)。菅平を拠点として上越や北信地域に足を延ばすと、急激に積雪量が増加し、しかも水分を多く含む暖地積雪へと変化する事がわかります。”トンネルを抜けると雪国だった”という明言がありますが、急に天候が変化する境界を”天気界”と呼びます。アメダス日データから冬季の天気界をしらべてみると(須田、上野、2013)、実はニュースで話題になる日本海側の大雪地域と太平洋側との間に広い遷移地域(内陸積雪域)が本州には本州中部に存在する事が分かります。菅平高原もこの地域に含まれ、日本海側に比べて晴天率が高く1m前後の積雪が生じる事が特徴です。日本海側や太平洋沿岸で生じる大雪研究は沢山あるので、自分は菅平を拠点として本州内陸での降積雪環境特性を明らかにしようという事になります。

 菅平実験所は授業でも活用され、私も毎年冬になると学生さんを連れて断面観測を継続してきました(上野、川瀬、2020)。長年の積雪観測により、季節風により再配分された渇き雪の微細な分布構造や(Ueno et al., 2007)、低地の暖地積雪には見られない特異的な凹型の積雪深変化の出現(上野ほか、2010)が明らかとなってきました。この中でも、特に注目したのが温帯低気圧の影響を受けた積雪構造の変化です。日本の雪には季節風の影響で生じると考えられがちですが、内陸域の冬季降水は低気圧によってももたらされ、その形態(雨か雪か)はその時通過する低気圧の経路や構造により変化します。同時に、低気圧の暖域が通過すれば湿潤気団の潜熱開放が融雪を引き起こします。春一番の通過に伴い1日で数10cmの融雪が生じる事もあります。佐藤ほか(2012)では、低気圧通過によりもたらされる雪面上の降雨(Rain on snow, ROS)が生じるタイミングを明らかにし、局地的に生じるフェーン現象も地上での降雨を促す昇温に寄与することも示唆しました。長期の断面観測結果から、積雪中に形成される多くの氷板もROSの発生が原因であることも分かってきています。氷板の形成による積雪中の熱伝導の不均一性はシモザラメ(弱層)構造を促進し、斜面では雪崩の発生を促す可能性もあります。このような積雪の構造変化は一次元の多層積雪モデルでも再現が可能です。今後も、中部山岳域における積雪構造の遷移を監視していきたいと考えています。

 日本では大雪が注目されますが、大陸では比較的比較的薄い積雪が広域に分布し、その深さが微地形や構造物に応じて不均一であることが特徴的です。チベット高原の積雪はパッチ状に分布し、そのアルベド変化も積雪の被覆率に依存します(Ueno et al., 2007)。このようなパッチ状の積雪は再配分の結果なのですが、再配分をもたらす日中の強風そのものが裸地からの顕熱加熱に伴う上空の亜熱帯ジェット気流からの運動量輸送であることも分かりました(Ueno et al., 2012)。冬でも日射量が強いチベット高原ならではの大気陸面相互作用の典型例かもしれません。

 現在運用されているGPM主衛星に搭載された二周波降水レーダーは降水中の雨雪境界の3次元構造の把握や高緯度での降雪量推定に威力を発揮する事が期待されています。温暖化に伴い山岳域の降積雪環境がどのように変化していくのか、目が離せません。



菅平高原での積雪観測

新雪中の化学組成分布(上野、1993)

チベット高原で建設したDFIR

パッチ状の積雪分布

春一番による菅平高原での融雪

重量式雨量計の試作
凹型積雪深変動(上野ほか、2010)

 山崎モデルによる積雪構造の再現

低気圧通過に伴う降水形態変化(佐藤ほか、2012)