2013年10月10日 人文地理談話会

華人社会・チャイナタウン研究のフィールドワークから

 

筑波大学生命環境系教授

山 下 清 海

 

私は修士論文で横浜浜中華街の研究をして以来,一貫して日本および世界各地の華人社会やチャイナタウンの研究に取り組んできた。そこで,本報告では,華人社会・チャイナタウン研究のフィールドワークの経験を通して考えてきたことを,特に大学院生や若い研究者に伝えることにしたい。

私のフィールドワークの「原点」は,大学院の巡検で行なった伊豆半島の半農半漁村の調査であった。しかし,当時は,先生や先輩の院生の言うとおりに動く「指示待ち」人間であった。自分で何をしたらよいのか,調査で何を明らかにしたいのかさえ,わからなかった。ただ聞き取り調査の難しさと,フィールドノートを一生懸命とらなければならないということだけが,漠然とわかった。

修士論文作成のために,自分ひとりで横浜中華街の調査を始めて,飛び込んだ店の人に聞き取りを断られ,さらに当時対立が深刻であった台湾派と大陸派の対立に巻き込まれたりして,挫けそうになった。しかし,伊豆や横浜中華街のフィールドワークの経験は,大学院の博士後期課程の時に,文部省アジア諸国等派遣留学生に選ばれて,シンガポールの南洋大学に留学し,東南アジアの華人社会・チャイナタウンを調査する際に非常に役に立った。聞き取り調査で得た生の声をフィールドノートに克明に記録し,情報を地図化することを実践した。そうすることで,私の最初の本である『東南アジアのチャイナタウン』(古今書院,1987年)ができ上がった。

その後,世界各地でフィールドワークを実施し,その中でさまざまな研究のアイディアが浮かんでいった。あるフィールドで感じたことが,これまでの別々の経験を,結びつけた。フィールドで播いた種が,一斉に芽を吹くような感じである。サンフランシスコやロサンゼルスで新しいチャイナタウンが形成されているのを見て,池袋駅北口界隈を,いち早く2003年に「池袋チャイナタウン」と名付けた。

中国の「僑郷」(「華僑の故郷」の意味)における調査では,関連の統計・文献資料がない中では,フィールドワークこそがオリジナルデータになる。福建省福清市では,日本で不法残留しながら働き続け,故郷に豪邸を建てた人の体験を聞き取った。また,ハルビン郊外では,終戦後残留孤児となり,養父に虐待されながらも強く生き抜いた老婦人の苦難な体験をフィールドノートに記録した。

論文のストーリーは,フィールドワークを通して見えてくるものであり,研究の新しいアイディアもフィールドワークから生まれてくる。優れたフィールドワーカーは,優れた読書家であり,優れたもの書きでもある。

以上が,若い研究者やこれから研究者を目指している院生・学生の皆様に最も伝えたかったことである。

(2013年10月)