書 評
 

 「新地理」(日本地理教育学会) 

第48巻、第9号、2001年3月20日 

  山 下 清 海 著

チャイナタウン 

世界に広がる華人ネットワーク

208p.、2000年、丸善2,300円


評者: 秋 本 弘 章

(獨協大学経済学部経営学科)

 

  しばしば、日本人は歴史は好きだが、地理はあまり好きではないといわれる。しかし、平成10年度の海外旅行者は1600万人を越えているし、海外事情を紹介した本の売れ行きも高いという。このような事情を考えると、日本人も地理にかなりの興味関心を持っていると思われる。

 一方で、高等学校での「地理」の履修者は5割程度にすぎない。受験などの要因もあろうが、魅力的な地理教育を行って来なかったわれわれ教員の力量不足といわれても仕方があるまい。しかし、その原因は現場の教員だけにあるのではない。

 学校教育での「地理」には世界各地の事情を体系的に伝える役割がある。教員が自らの手で世界各地を飛び回って直接教材を入手できればそれにこした事はないが、そんなことは不可能である。よい授業を構成しようとすれば、世界各地の事情を生き生きと伝えてくれる本が不可欠なのだが、そうした本は極めて少ないのだ。滞在記やガイドブックなど一般向けに海外事情を紹介したものは、視野狭く、物事が断片的に記されているのみで、地理の教材としては物足りないものが多い。一方、地理学者や民族学者あるいは他の分野の地域研究者は詳細な学術レポートを著しているが、現場の教員にとっては入手困難であるし、また入手できたとしても教材化することは難しい。こうした事情が、地理教育を低調にしてきた要因の一つであると思われる。 地理教育の発展のためにも、地理的な見方・考え方を身につけた地理学者によって、海外事情を紹介する読みやすい本が執筆されることが期待されている。

 山下氏は、チャイナタウンおよび華人社会の研究者として多数の論文を発表する一方、一般向けの著作にも力を入れている数少ない研究者のひとりである。氏はすでに、「東南アジアのチャイナタウン」(二宮書店)を著しており、本書は、その続編ともいうべき性格も持っている。世界のチャイナタウンの今を伝える基本的な文献の一つになろう。

 氏の分析手法は、前著から一貫している。地理学の主要な概念であり、方法でもある景観を重視していることである。何の知識も技術も持ち合わせない人にとっては景観から得られるものは限られてくる。豊富な知識と地理学者の目を持ってすれば景観は様々なことを語ってくれるのだ。それこそが、地理学の醍醐味であろう。各地のチャイナタウンの景観が、政府の政策や華人の立場などを反映していることを読みやすい文章で伝えてくれる。さらに、本書の中に氏が自ら撮影した写真が数多く掲載されているが、本文と合わせて見ることで、知らず知らずのうちに景観解読法を身につけられるような気になる。

 ただし、氏は景観を目にみえるものだけに限定しているわけではないようだ。一般の読者には単なる中華料理の案内ととられそうな記述の中に、味覚を通じて景観を解読する試みを読み取ることができる。今後は匂いや音など五感を通じて景観に迫る新しい展開も期待できよう。

 もっとも、景観の解読は、旅行者でも可能な範囲に限定したように思える。このことによって、誰にでも読みやすくなった反面、深みが足りなくなってしまったのが残念である。また、氏には、チャイナタウンに居住する知己も多いと思われるが、彼らの肉声を紹介しつつ、自らの町をどのように見ており、どのような気持ちでそこに生活しているのかといった異なる視点からの景観を見るといった試みがあればと思う。

 前著では東南アジア考察の範囲が限られていたが、本書では日本、アメリカ・カナダ、ヨーロッパ、オーストラリアと世界的な広がりを見せている。そして各地のチャイナタウンの様相を詳細に記述しながら、その特徴だけでなく、各国の社会の有り様を見事に浮かび上がらせている。評者は、この本を読み、中村・高橋らの著した「地理学への招待」に記されているフンボルトの緯度の異なる山地の高度別植生分布図が頭に浮かんだ。山地のかわりに各地のチャイナタウンがあり、植生のかわりにチャイナタウン住民の出身地などのモザイク、緯度のかわりが各国の政治・経済の状況。まさに、地理学の方法として「比較」を適応した分析ではないか。そして、それが見事に成功しているように思える。

 全体を通してみると、政治・経済的視点から踏み込みが足りないという批判もあろう。これも、この本のスタイル、対象を考えるとやむをえないのかもしれない。

 評者は、この本が、教員に対しては一般の人以上に有益で示唆に富むものであると思う。現在、地理教育では見方・考え方が重視されている。だが、見方・考え方とは具体的にはどういうことなのだろうか。中学校および高等学校学習指導要領解説に一応の記述があるが、それを読んでもなかなかイメージしにくい。地理を専門にしている私ですらそうなのだから、地理を専門としない教員にとってはなおさらであろう。しかし、本書は地理的見方・考え方のいくつかを極めて具体的に例示している。

 また、自ら学ぶ力との関連で、いわゆる「調べ学習」が重視されるようになる。氏の著作では、参考文献が挙げられているばかりでなく、関連するインターネットホームページも掲載されている。さらに知りたい、調べたいという要求にも十分こたえられるものになっている。氏自身もホームページを開設しており、最新のチャイナタウンの写真をみることができる。地理教育では、コンピュータをはじめとする情報機器の有効な利用が求められているが、氏のホームページのような情報が提供されることによって始めて可能になるのではなかろうか。地理教育の立場からは、情報化時代の地理教育を、研究者の立場からは社会貢献のあり方を考える上で氏の試みは示唆に富む。

 評者は、現在大学に籍を置いているが、昨年まで高等学校の現場にいた。今後、高等学校で授業をする機会があれば、この本をもとにして「調べ学習」を展開させてみたい。高校生に地域研究の楽しさを学ばせるためにはもっとも適切な本の一つであると確信する。


参考文献

山下清海(1987):『東南アジアのチャイナタウン』、古今書院、201p.
中村和郎・高橋伸夫編(1988):『地理学講座1地理学への招待』、古今書院、196p.
文部省(1999) :『中学校学習指導要領(平成10年12月)解説 社会編』、大阪書籍、205p. 
文部省(1999):『高等学校校学習指導要領解説 地理歴史編』、実教出版、336p.