書 評
 

毎日新聞 2000年10月1日(日) 


樺山紘一 評
(東京大学 大学院人文社会系研究科・文学部 教授)

チャイナタウン−−世界に広がる華人ネットワーク

山 下 清 海 著   (丸善ブックス・2300円)



 ちかごろ、日本に三つあるチャイナタウンは、たいへんなにぎわいだという。横浜・神戸・長崎の三つ。横浜のそれなど、人気の中華料理店は、予約でもしないと入れないとか。

 まったく同じことが、世界中のチャイナタウンにみられるようだ。よく知られるとおり、東南アジアからアメリカ、それにヨーロッパまで、ほとんど地球上のあらゆるところに、チャイナタウンがある。われわれ日本人は、外国旅行で胃腸が疲れると、中華料理をたべにゆく。救いの神にみえることすらある。

 本書を参考にすれば、どこで上等な料理がたべられるか、一目瞭然だ。とはいえ、これは旅のガイドブックではない。地理学者として、三十年に近い歳月をかけて、世界中のチャイナタウンを調査しつづけてきたひとの報告書。大部の著作がべつにあるが、それをもとにして、本書は読みやすい入門書となった。

 もっとも、類書がないわけではない。レストラン・ガイドもある。国際経済において華人(華僑という語にかわって、華人をあてようという本書の提言にしたがう)がしめる隠然たる勢力については、裏事情をふくめて、よく話題にされる。けれども、本書は、そのどちらでもない。海外に居住する中国人が、なぜ、いかにして中国人街を形成したのかという設問に答えるために、現場をふみつづけた。

 いくつもの興味深い事実が、語られる。華人の出身地の区分が、各地のタウンにおいて、明瞭だ。福建とか、潮州とか、香港とか。さらには、いったんインドシナ半島に進出した華人が、さらにヨーロッパやアメリカにむけて、再移住するとか。

 華人たちは、そのどこにあっても、「会館」とよばれる組織をつくって、緊密な紐帯をたもつ。出身地、姓、職業などを基準にして、べつべつの会館をうみだし、生活のすみずみまで相互の扶助を保証する。それどころか、国の境をこえてネットワークは世界に広がる。

 チャイナタウンには特有の景観がある。店舗をかねた棟割り長屋、道教に仏教が混合したような寺院と廟、さらに独特の牌楼(ぱいろう)。その牌楼は、タウンの入り口にきらびやかにそびえるが、意外にもあたらしく、観光化にそったものだという。

 中国の開放経済の余波もあって、チャイナタウンはますます隆盛をくわえるようだ。だが、ここからは、難問も生ずる。現地社会との接触や競合もおこる。やっかみや治安の悪化も軽視しがたい。それに、華人のなかにも、貧富や階層の区別ができる。本書は、これらの側面もたんねんになぞっている。

 教えられるところ、きわめて多いところから、さらに注文をだしたくなる。たしかに、華人の数の優越はめざましいものがあるが、海外で活動するのは中国人だけではない。インド人、これはかつて印僑とよばれた。ユダヤ人やアルメニア人も、世界各地にいる。けれども、これらはみな、チャイナタウンほどの、くっきりした輪郭や個性を主張してはいない。なぜ、華人だけが、かくも華やかに町を構成したのか。なにか特別な資質というものがあるのか。

 こんな問いを発してみたくなるのは、これからの日本人が海外で居住やビジネスをいとなむにあたって、どんな戦略を心掛ければよいのかという課題に、ヒントがあたえられるはずだからだ。まるで中国人の対極にあるかのようなわれわれにとって、これはいちばん苦手な課題なのだが。